読書感想文について


 「読書感想文」は日本中で広く行われているものである。我が校でも国語科が例年夏休みの課題としている。さらに図書館主催の校内コンクールが行われ、「読書感想文コンクール 入選作品集」がまとめられている。
 「読書感想文」について一言ある人は多い。課題図書の選定や感想文の評価についての不満を耳にすることもある。そういったことに対する回答も含めて、我が校での読書感想文に対する私の考えは「読書感想文コンクール入選作品集」に載せた「講評」に述べてあるとおりである。
 「平成5年度 講評」には「読書感想文を書くときに注意すること」がまとめてあるので、それを参考にしてもらいたい。なお、「平成12年度 講評」に一部流用していることを記しておく。

 平成5年度 講評
 平成9年度 講評
 平成10年度 講評
 平成12年度 講評
 平成14年度 講評

 【おまけ】 付箋紙を使った感想文の書き方

       「読書感想文の書き方」(上を文章化したもの)

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平成5年度 講評


 課題図書を選ぶのがますます難しくなってきた。提出された読書感想文の全体的なレベルが低下しているとしたら、課題図書のせいではないかと悩むくらいだ。かつての名作は80年代以後の世代には決定的な〈ずれ〉を感じさせるだろう。ピンと来ないどころか、何を問題にしているかも分からないかもしれない。読書量の多さを誇る者ならばともかく、年に数冊しか読まない者にそれを乗り越えよというのは要求が大きすぎるか。逆に〈ずれ〉を前提に先入観をもって読んでしまうこともある。例えば『贈る言葉』の感想に「昔は恋愛が難しかったのだろう」とあった。自分の両親たちのひとつ上の世代が恋愛をしなかったとでも思うのだろうか。難しいと言えば恋愛はいつだって難しい。いや、錯覚や幻想を持てなくなった今の方が、もっと難しいだろう。表面上の〈違い〉や〈ずれ〉ばかりに注目するのではなく、本質的なものにも目を配ってもらいたいものである。

 では、新しいものではどうか。大抵の新しい文学は直前の文学を否定するために書かれる。だから前へ前と逆上って行かなければ今の文学の正味の価値が分からないということになる。近代文学の〈流れ〉を踏まえて読み込まなければならないという面があるのである。特に80年代以降は一見〈流れ〉と切れているように見えるので注意が必要である。そうやって初めて、村上春樹の新しさと古さが分かるのだが、そこまで要求するのは読書感想文コンクールの趣旨に合わないか。

 ともあれ、苦しみながらも我々は課題図書を選定していくだろう。我々には名作であるが、君たちには訳の分からないものもあるかもしれない。けれども、想像力をめいっぱい使って選定ミスなど吹き飛ばしてもらいたい。できないことではないと思う。なにしろ、最も難解で内容を正確に把握できないのではないかと危ぶんでいた『人間の土地』の感想文が、結局、入選に3編、佳作に4編も残ったくらいだから。

 さて、ここ数年の傾向は入選者の顔ぶれが固定しつつあることである。今年度も昨年度の1位2位3位の3人が同じく、1位2位3位になっており、他の3位入選者は一人は佳作第1位に入り、もう一人は最終選考に残って奨励賞を獲得した。これにはさまざまな理由が考えられるが、やはり彼女たちの読み方と書き方が優れているということは間違いないだろう。

 第1位の松原めぐみさんは『中国行きのスロウ・ボート』という短編集を1冊まるごと扱っている。村上春樹の第一短編集の7編は寓意的なもの、リアリスティックなもの、童話といってもよいものと多彩である。それを松原さんは「時代に対する見方・感じ方」という点でひとつにまとめている。これはかなり難易度の高いやり方であって、基本的には集中の1編を選ぶべきだろう。他の多くの作品が寓意的な独特な雰囲気にてこずっていたのに比べて、すぱっと鮮やかに切り取って見せたところが高く評価された。

 第2位の森岡智映さん、第3位の川崎雅子さん、東口のりみさんはサン=テグジュペリの『人間の土地』を選んだ。難解な本書に対して、彼女たちはそれぞれキイ・ワードを選び、それぞれの切り口で挑んでいる。魅力的なエピソードにとらわれすぎず、全体をとらえようとしたところが評価されたのである。ただし、他の多くの作品と同じく、ヨーロッパ人の人間観が日本人のそれとは異質なものを含んでいることに気づいていない憾みがある。

 もう一人の第3位、萬治香月さんはサマセット・モームの『月と六ペンス』を選んだ。主人公ストリックランドに感情移入しつつ、肯定否定の両面を見、生きるということを考えようとしている。それらのバランスの良さが評価された。他の人たちの作品にはヒステリックに否定しているものばかりが目立ったからである。

 以上の5編に共通するのは非常にまとまっているということである。構成に気をつける。これが入選の第一条件であろう。


 では次に読書感想文を書くときに注意することを述べよう。

 読書感想文とは読書してただ感想を書くというものではなく、もともと一種の批評文であり、評論文なのである。だから、単なる賞賛になっても、単なる非難になってもならない。「すごい、素晴らしい」だけでも「わからない、つまらない」だけでも駄目なのだ。けれども、きちんとした批評や評論と違って、公正さに強くこだわる必要もない。ここで言う公正さとは、その本が著者の作品群中どのような位置にあるのか、とか、どのような時代を背景にして出てきたものか、などをもとにした価値判断のことである。

 読書感想文ではそのような公正さは求められていない分、自由に意見を述べることができる。しかし、それは作品の性格をつかんだ上でのことであって、そういった最低限の作業ができていなければ困ったことになる。例えば、中島敦の「山月記」や「名人伝」のような寓話的な作品をリアリズム作品と同一視するなどの失敗がそれである。寓意を探るのならともかく、「人間が虎になるはずがない」だとか、「虱が馬ほどに見えるのなら日常生活に支障を来す」などと文句をつけるのは明らかに誤った読み方だ。独創的な解釈などというものでは決してない。特に「名人伝」は名人という存在に対するパロディにもなっているのだから、「紀昌はほんとに凄い名人だ」という〈素直な〉感想には失笑せざるを得ない。

 自由という意味ではどんな感想を書いてもよいわけだが、忘れてはならないことがある。それは読書感想文の提出が「夏休みの課題」となっていることである。長い夏休み、せめて一冊でも本を読んで欲しいという気持ちがこの課題には込められている。そして、これがきっかけになって読書に親しむようになって欲しいという願いも込められている。だから読書感想文には夏休みに1冊以上の本を熟読玩味したという証拠の役割がある。我々は本当に読んだという証しが欲しいのだ

 読書感想文も作文のうちだから、1冊も読まなくとも書けることは書ける。例えば題名からの連想だけで原稿用紙五枚を稼ぐ。柴田翔の『十年の後』を読まずに、自分の十年後の人生を想像して書く。『図書館だより』の紹介文や文庫の解説を切り貼りし、少し言葉を変えて提出する。戦争ものだと判断すれば、主人公たちの苦境そっちのけにして戦争の悲惨さを訴える。『黒パン俘虜記』は読めばすぐ分かるのだが、「戦争もの」ではない。戦争がきっかけになってはいるが、「収容所もの」である。主人公たちは収容所のつらい生活のおわれて、自分たちのしてきた戦争を振り返る余裕など持たない。話題にすらなっていない。それを、自由を失い、強制労働をさせられ、絶えず命の危険を感じているのも「戦争」だ、と言うのは強弁だ。これらは広い意味では「感想」であるが、「夏休みの課題」としては認められないものである

 文庫本の解説を丸写しするのはもってのほかだが、解説に影響を受けるのはやむを得ない面もある。なにしろプロの文筆家が商売で書いているのである。視点もオリジナルであり、内容も濃い。しかし、読書感想文が解説の内容だけに終始しているようだと、1冊きちんと読んでいないと邪推されても仕方がないだろう。

 今回の課題図書の解説では『岳物語』と『蝉しぐれ』が双璧と言ってもよい。『蝉しぐれ』は選択者が少なかったので目立たなかったが、『岳物語』の斎藤茂太には影響を受けている人が多くいた。斎藤氏が取り上げた「岳少年の父親を出迎えるやり方の変化」に言及していない人はいないと言ってもいいほどだった。取り上げ方も同じ、それに対する感想も同じでは、盗用である。せめて引用符のカギカッコを使って欲しいものだ。

 解説の影響から脱するには、解説で取り上げてないところから感想文の〈核〉となるものを見つけだせばよい。考えてみれば、すぐ分かるのだが、解説ですべてを述べてしまっては本文を読む必要がなくなるではないか。賢い解説者は最も重要なことには触れないものである。

 小説を扱うとき、感想文の〈核〉になるものには、次のようなものがある。1テーマ2人物の造型3エピソード4描写5ストーリー。ストーリーを5番目にしたのは扱うのが難しいからである。へたをすると今どき小学生も書かない粗筋紹介文になってしまう。〈核〉になるものはその外にもいろいろあるし、以上の五つを組み合わせるやり方もあるから工夫して欲しい。いずれにしてもそこから〈対立的要素〉を見つけるようにすれば書くのはたやすいはずである。

 ノンフィクションを扱うとき注意しなければならないのは〈事実〉と〈意見〉を区別することである。自分の書いた感想が筆者の取り上げた〈事実〉に対するものなのか、筆者の主張する〈意見〉に対するものなのかをはっきりさせなければならない。さらに、筆者の発見した〈事実〉はそれを尊重するべきである。また、〈自分の意見〉と〈筆者の意見〉を区別して書く必要がある。〈筆者の意見〉がどこからどこまでかはっきり分かるように書けないのでは、〈自分の意見〉などないと思われても仕方がないだろう。

 以上の事柄に留意して、来年度はさらに優れた読書感想文を書いてもらいたい。



平成9年度 講評


 今年コンクールの最終選考に残ったのは42編。全体のレベルは去年よりも上がっているという印象があったが、突出した作品はなく、上位は僅差の争いであった。

 まず、『風葬の教室』について述べよう。この小説を選んだのは171人と最も多く、その中で最終選考に残ったのは14編であった。本書のテーマは「いじめ」というものである。戦争を扱ったものと同じく、いいか悪いかという点でははっきりしすぎているので、掘り下げ方がまずいと、ありきたりの感想を並べただけのものになってしまう。多くの人たちの感想文がそのようになっていた。

 1位の金子奈津子さんと2位の末森成美さんの作品は「いじめ」の主題に真っ向から取り組んでいると言えるだろう。さらに金子さんは「生とは?」「生きるとは?」という問いを中心にし、末森さんは「生きていくために必要な人々」についての考えを中心にしている。二人とも自分の考えを自分の言葉できちんと表現できていたところが評価された。

 多くの人が、語り手である主人公が「とても小学生とは思えない」「大人びている」と違和感を述べていた。中には拒否反応を示している人もいた。この小説では語り手「本宮杏」が作者自身であるという言及は一切ないし、主人公が大人になってからの回想であるという記述もない。にもかかわらず、大人の作者の顔が見えてくる。それはどうしてか、といったところを感想文の〈核〉にすることも出来たであろう。

 『日本日記』は随筆的な要素を多く含んだノンフィクションである。ノンフィクションを扱う時は、事実と意見との区別をしなくてはならない。特に、本書のように外国人が日本を見て書いたものを扱う時は、日本人の目には見えない、目にとまらない「事実」なのか、それとも同じ「事実」を見ながらも、異なる「意見」を持っているのか、は大きな違いである。「意見」をあたかも「事実」であるかのように描く筆者もいるが、鵜呑みにせずに考えをまとめるべきである。しかし、本書を選んだ多くの者は事実と意見を混同したまま、感想を書き出そうとしている。そのためか、筆者が書いたことをそのままなぞったような文章になっているものが多い。

 2位の井上裕子さんの作品も事実かどうかの吟味が甘いところがあるが、一人の筆者に絞らずに、テーマである「日本」について深く考えることで1冊をうまくまとめている点が評価された。

 『異邦人』は『風葬の教室』に次ぐ8編が最終選考に残った。内容が難しいので低学年には無理だろうと思っていたが、2年生にも力作が多かった。本書は前半と後半では小説の種類が違っている。前半は不条理小説であり、後半は裁判というよりも宗教裁判のような寓話的なものになっている。後半の裁判に重点を置くかどうかで読み方が変わってくるのである。その辺りが読み切れていないようだった。

 3位の小林祥子さんの作品は、謎の多い主人公の本質に迫り、ムルソーがただの不条理な人物ではなく、現実を直視し、真理を見据えていたととらえたところが評価された。

 『父の詫び状』を選んだのは『風葬の教室』に次ぐ82人であった。選択の理由に中学校の教科書で読んだことがあると書いていた者が多かったが、感想文の内容も中学生レベルで留まっていたようである。その中では最終選考に残った4編は少し抜きんでていた。本書は「生活人の昭和史」と呼ばれるくらい多くの要素を含んでいるのだが、感想文は題名に引かれたのか、父親に関するものが多かった。作者の父親と自分の父親を比較するというものがほとんどだった。その比較の仕方が表層的なものばかりだったが少々残念だった。

 家族を扱ったものにもう1冊『帰れぬ人々』があった。57編中4編が最終選考に残っているが、どの作品もうまく焦点を絞れていなかった。小説そのものの完成度が低いからではないかと感想文を読んでいて思った。

 『金閣寺』は一見、金閣寺焼失まで一直線に進む小説のように見えるので、「なぜ、主人公は金閣寺に放火したのか」という問いが感想文の焦点になっている人が多かった。その問いに対する答えへの道は作者が用意しているので、どうしても同じようなものになりやすい。このような場合、作者の考えを上回るものを行間から読み取るか、別のところに焦点を当てて読む方法がある。

 『夏への扉』と『チョコレート・ウォー』の2冊は翻訳小説である。2冊とも娯楽性が強いため、ストーリーに引かれすぎて粗筋だけを書いている者が目立った。もちろん、ストーリーを楽しむのは読書の形態として間違いではないのだが、感想文としてはもう一工夫が必要である。最終選考にはそれぞれ2編と1編が残ったが、やはり工夫が足りなかったため高い評価は得られなかった。

 『チョコレート・ウォー』ならば、例えばどのような工夫が出来るだろうか。作者は途中から主人公ジェリーの反抗を描くよりも秘密組織ヴィジルズを描くことに力を注いでいる。ある場面では、主人公には一切関係のない、ヴィジルズ内部の権力闘争を扱ってさえいるのである。主人公にこだわらずに、ヴィジルズに焦点を当ててみれば面白いものが出て来たかもしれない。

 達意の文章を操る名文家という評価を若くして得た海老沢泰久の『美味礼讃』は、文章そのものの良さを含め、完成度の高い傑作である。モデル小説であるがゆえに評価は割り引かれてきたが、彼の代表作と言っていいだろう。他の課題図書に比べて大部であるという理由で、選んだ人が少ないのであるならばとても残念なことだ。



平成10年度 講評


 自分の中に誰かに伝えるべき何かがありさえすれば、自然にそれが現れてくる。現れて来ないでも、伝わる人には伝わるはず。以心伝心。それを期待して、それで済む場合もある。でも、済まないことの方が多いのは経験的に分かっている。……何かを言おうとして、何かを伝えようとして、言葉が出てくるのを待つ。いくら待っても出て来はしない。自分の中には確かにある。嘘でも偽りでもない。自分自身の考え、気持ち、大切な思い。でも、言葉になって出て来ない。……確かにあると思ったのは、錯覚だったのか。自分の中には何も生まれていないのか。言葉として形にできないのではなく、初めから何もなかったのか。そう思っても仕方がない。

 だが、そうやって思いの種をなかったことにしていては、何も生み出せない。単なる〈感想〉の一つでも言葉にし、文章に並べてみる。その訓練が必要だと切実に思う。



 さて、課題図書と入選作品について述べよう。

 『家族の標本』は、スケッチとしてなかなかすぐれている。作家修行にはもってこいのやり方だろうから、作家がどのように成長していくかに興味がある人は、この本の前後の作品を読み比べてみるといいだろう。「家族」という題材は感想文としては、自分の周りとの比較がしやすくて書きやすそうだが、それに終始してしまっている場合が多かった。自分の家族のことしか書いていない人もいた。最終選考には7編残っているが、その中から斉藤裕子さんが1位に入賞した。

 この本の中に「幸せな家族」という題のエッセイがある。そこには「見聞する家族は平凡で幸せに思えても、よく話を聞くとどこかに不幸の影が染みのように顔を覗かせている」とある。作家の目が「染み」や「皹」にばかり向いていることの現れである。斉藤さんの「『幸せ』について」もこのエッセイを取り上げているが、作家の誘導する見方にとらわれず、「何かが欠けていても幸せにはなれるものだと思う」と主張する。多くの感想文が「実在する家族をモデルにし」た本書に圧倒されっぱなしだったのに比べて、自分なりの考えを述べているところが評価された。

 『本当の戦争の話をしよう』は、良かった、面白かった、圧倒されたと読んだ人は言っていたが、書かれた感想文からはどんな良さがあり、面白さがあるのか伝わって来なかった。戦争という重い体験をもとに描かれたものだからかも知れない。ベトナム戦争というものに対する知識がないためかも知れない。最終選考には、7編残った。入賞した杉村さんと中本君はその中でも言いたいことがはっきりしていた。

 2位に入賞した杉村真由美さんの「本当の戦争の話を聞いて」は題名にあるように「ティム・オブライエンという男の戦場での体験を聞いた」というのが感想文の基調になっている。小説の「語り」に対して敏感に反応しているところが面白い。作者の語る話を聞いて、場面を想像する。作者の想像力と正面から対決しようとしているのも好感が持てる。さらに、作者と同等のものの持ち合わせはないので、同質のものはなかったか、と自らの心の中に踏み込んでいく。この試みも興味深いものだった。しかし、未整理で焦点がぼやけてしまった。残念である。

 3位の中本雅也君の「本当の戦争の話をしようを読んで」は1冊の本としての構成をうまくつかんでいる。また、「体験的な戦争の話」と「歴史的な戦争の話」を対比して考えを深めているところに好感が持てる。しかし、この書き出しには不満を感じる。「平和であれば僕たちは喜んだり、怒ったり、悲しんだり、楽しんだりすることができるし、さらには夢や希望を抱くことができる」というのは一般的な考えであり、本書を読んだ後には少し違った思いが出てきたはずではないか、と思う。本書を読めば「戦争」の反対語が「平和」であると単純に考えられないということが伝わってきただろう。そのあたりをきちんとすくい取れれば、もっと良いものになっていただろう。

 『みずうみ』は「詩情あふれる美しい恋物語」という惹句にひかれて読んだ人が多かったようだ。今風の恋愛観を当てはめようとして、とまどっている人が大半であった。恋愛というものが普遍的なものだと思いこんでいると、正しく読みとれないこともある。恋愛小説の多くは対立や葛藤を交えて、恋愛感情を描写しようとする。時代によって、対立するものや葛藤を感じるものが変わってくるのである。最終選考には8編残っている。

 3位の金子奈津子さんは「心の湖」という題で感想文を書いている。金子さんはエリーザベトの側から「なぜ、エリーザベトはラインハルトが待てなかったのか」と考えている。「約束」という言葉をキーワードにして謎を解こうとする。その答は面白いものだが、小説にはエリーザベトの事情はほとんど描かれていないので、根拠が弱く恣意的なものに感じられた。未消化な部分を「心の湖」という象徴でまとめようとしたのだが、着地が少しぶれてしまったようだ。

 『さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記』は「二つの話」を含めた3編で短編集を作っている。『みずうみ』や『車輪の下』に比べると応募者は僅かであった。最終選考には1編しか残らなかったが、その1編が入賞している。

 福永絵理子さんの「『さざなみ軍記』を読んで」は3位に入賞した。文中、「私は時代の影に隠れてしまった人々を、見てみたい」とあるが、これは歴史小説の正しい読み方の一つである。この小説は都落ちしていく平家一門の一人の少年の日記を作者が現代語訳したという形式になっている。福永さんは少年に素直に感情移入し、ふと漏らした言葉などを手がかりに「事実」以外の「想い」を見ようとしている。

 『車輪の下』は、ハイルナーとの友情に絞ったものに比較的良いものが多かった。人物関係が図式化できるほど分かりやすい、ということや、本そのものが薄くて安いという理由からか、応募者が最も多かった。しかし、その人間関係の説明に終始している感想文が多く、内容的にはものたりないものを感じた。最終選考にも18編と多く残ったのだが、結局佳作どまりであった。

 『日々の泡』は、ばかばかしい話なのに、心を動かされてとまどっている人が多い。面白かったのだが、どう扱っていいのか分からないという感想も多かった。ファンタジー小説などに慣れているはずなのに、とまどっているのが少し不思議だった。課題図書になっているということで先入観があったのか。3編が最終選考に残り、1編が佳作になった。

 『街道をゆく』は、全43冊におよぶ「街道をゆく」の記念すべき第一冊である。スタイルがまだ確立されてないので、5編の感じがそれぞれ違う。「長州路」は山口県人を分析した有名な箇所もあるので、もっと多くの感想文が出されるかと思っていたが、応募者が少なかった。最終選考にも、2編しか残っていない。

 『或る「小倉日記」伝』は、『阿部一族・舞姫』の森鴎外の「小倉日記」に関わるミステリ的な作品が冒頭に置いてある。モデルのはっきりしている「菊枕」も面白い小説だが、応募者がきわめて少なかった。図書館だよりの「ふるさと探訪」で松本清張記念館を取り上げるらしいので、それを機会に読んでみてはどうだろうか。最終選考には、1編残った。

 『阿部一族・舞姫』も応募者が少ない。漢文くずしの擬古文の「舞姫」におそれをなしたのだろうか。「舞姫」も「寒山拾得」も教科書に取り上げられることの多いのだが。「阿部一族」が1編だけ最終選考に残った。

 『青い月曜日』はさらに応募者が少なかった。大部な長編小説であり、戦中、戦後の青春を扱った自伝小説という内容が敬遠されたのだろうか。応募作品数が少ないせいか、最終選考には結局、1編も残らなかった。



平成12年度 講評


 読書感想文の提出は国語の「夏休みの課題」となっている。そのため、1年生から3年生までのほとんどの人が提出する。この課題には、長い夏休み、せめて1冊でも本を読んで欲しいという気持ちが込められている。そして、これがきっかけになって読書に親しむようになってくれれば、という願いも込められている。だから、提出された読書感想文には夏休みに1冊以上の本を熟読玩味したという証拠の役割もあるのである。

 本当に読んだということが分かるようならば、それなりの評価をしたい。〈あらすじ〉でもいいのである。要約という作業は実は、重要であり、難しいものだ。ストーリーの要約にはそれなりの読解力と作文能力が要る。けれども、もちろん〈あらすじ〉だけではコンクールのクラス予選を通過しはしない。

 実際に読まなくても作文は書ける。題名から内容を想像してもそれほど外れはしないだろう。『死刑執行人の苦悩』とあれば、死刑執行人が苦悩するのに決まっている。なぜ、苦悩するんだろう。やはり、人を殺すからかな。こんな風に考えたものを書き連ねていけば原稿用紙四枚はすぐ書ける。題名では分からなくても「図書館だより」の紹介文を読めば十分だ。このようにして書かれた感想文は〈あらすじ〉よりも立派に見える。しかし、〈あらすじ〉よりも評価が低い場合もある。それでも、深く考えてあり、それがうまくまとめてあればクラス予選を突破することもあるだろう。だが、もちろんそれだけではコンクールで入賞しない。



 さて、課題図書について触れよう。今年は11冊の本を選んだ。提出数の多かったものから取り上げていくことにする。

 『夏の庭』の主人公たちはどこにでもいそうな小学生である。彼らの行動の中には特別なところがあるのだろうか。老人の死に対面した彼らの考えは小学生らしいものであった。普通の小学生たちの夏休みの一齣をおもしろく描いているところにこの小説の魅力があるのである。

 この小説を読んで、「死」について深く考えるようなことが本当にあるのだろうか。小学生の考えることに感銘を受けるというようなことがあるのだろうか。自分が小学生のころぼんやりと感じていたものを小説の中で描いてあった、ということはあるだろうが、自分にはとても考えられなかった、と言われると、なんだか嘘っぽい。

 102編と最も提出数が多かった課題図書だが、最終選考に残ったのは5編しかない。その中でも入賞を果たせるだけのものがなかったのは、テーマを大袈裟に扱いすぎたからではないだろうか。

 『死刑執行人の苦悩』では、前にも述べたように題名だけからの連想で感想文を書いているものが多く見受けられた。あるいはそのようにしか受け取れないものばかりであった。

 感想のまとめとして死刑制度に対して反対か賛成かを述べているものがほとんどであった。それはそれでいいのだが、読み終わるとみな同じ印象になってしまうのである。結論がユニークで説得力があれば、コンクールの上位に入っただろうと思われるものがいくつかあった。

 最終選考には10編と多く残ったが、やはり同じような印象を与えるものが多い。1位になった福永絵理子さんも死刑制度についての考察に重点を置いている。全体から見ると、別の捉え方もあったのではないか、と思うのだが。

 『老人と海』のプロットはシンプルなものだ。ストーリー展開などを追っても、感想文をあまり面白く書けそうにない。ストーリーだけを追わずに、なぜ「老人」であって青年ではないのか。なぜ、「老人と海」であって「老人と大魚」あるいは「老人と鮫」ではないのか。といった疑問を持って読むというのもいいだろう。

 最終選考に残ったのは5編。3位に入賞した森友愛さんは「命をかけた闘い」について焦点を絞って書いている。

 『変身』という小説の感想文を読んでいると、小説の持つ象徴性を無視しているような気がした。あるいは気づかないふりをしているのか。表面上の〈すじ〉に引きずられているものが大半であった。その他は主人公に感情移入しようとしてうまく行かなかったものである。随所に見える象徴的な要素に自分なりの解釈を打ち出せれば、水準以上のものになったはずなのだが。

 最終選考に残ったのは4編。

 『ライフ・イズ・ビューティフル』。強制収容所に入れられるという悲劇。しかし、ユダヤ人差別に話題の中心を持っていくのは間違いであろう。自分がユダヤ人であることに、なんら屈託のない主人公の様子を見ても、ユダヤ人差別の問題だけを取り上げているとは思えない。強制収容所はいつの時代、どこの国にも存在する。戦争のある地域では、どこにでも存在しうるのである。特にユダヤ人にこだわることもあるまい。テーマをあらかじめ決めつけて読もうとしているものが多かった。そのため、コメディの部分を切り捨ててしまっているので、まるで別の本を読んだ感想文のようだった。

 最終選考にはたったの1編しか残らなかった。

 『少年H』。今回最も難物だったのがこの本ではなかっただろうか。小説としては確かに読みやすい。しかし、感想文にまとめるには何を中心に据えるかがはっきりとしない。戦前、戦中の子供の生活を描いた自伝的な小説は多くあるが、それらを読んでいて比較するのならばなんとか書けるだろう。この本だけ読んで、感想文を書くのはかなり難しい。

 特に上巻ではまだ戦争について深く描かれていない。子供の目で見たことなので、かなり一面的でもある。読者に批判的な視点がなければ優れたものは書けないのだろう。

 提出数は「キッチン」と同じだが、結局最終選考に残るようなものはなかった。

 『キッチン』。小説の面白さの大半は〈すじ〉の面白さだが、この小説は〈キャラクター〉性が強く、感想文で〈すじ〉を追いかけてもあまり面白くない。

 最終選考に残った2編も、主人公の人物像に戸惑いながら、テーマを探そうと苦労している。

 『塩狩峠』では、最後の、列車を止めるところしか読んでいない感じの感想文が多い。あらすじを読んで書いたのかと疑わしいものも多数あった。

 最終選考に残ったのは5編。2位の藤部聡くんは多くの人と同様に「信仰」をキーワードにしているが、他の人たちとは違って主人公について真剣に考えているところが評価された。

 『みんないってしまう』。小説の中の象徴性には疎いが、題名にはこだわりがちである。「みんないってしまう」という言葉から何かをつかみとろうとする。それはそれでいいのだが、小説の内容そっちのけで考察するのは困ったものだ。

 1位になった中村明日香さんは短編集全体の印象をうまくまとめながら、テーマである「喪失」について書いている。

 『17歳のポケット』は遺稿集という本の性格上、とりとめのない構成になっている。感想をまとめるには難しかったかも知れない。本の内容よりも、作者の人生に対しての感想が多い。だが、作者の人生はまだ出発点とも言える17歳で終わっているので、それに対して深く書き込むのは無理がある。作品には普遍的なものが含まれているものもあると思うのだが。

 最終選考に残った3編ももっと作品について書いてもらいたかった。

 『水辺のゆりかご』 は自伝的小説である。作者自身に感情移入できない人は読まないだろうと思われる。悲惨な過去を演出しすぎているところもあるので、読もうとした人でも感情移入しきれなかったかも知れない。

 提出数も少なかったが、最終選考には1編も残らなかった。



平成14年度 講評


 長い夏休みだった。今年も国語科は読書感想文を夏休みの課題として出した。1年生から3年生まで、合計555編が提出された。
 読書感想文についての私の考えはホームページを参照してもらいたい。そこには「読書感想文を書くときに注意すること」も書いているので参考にして欲しい。

 提出数の一番多かったのが『高瀬舟』で、113編あった。『高瀬舟』は小説と随筆併せて8編あるのだが、小説「高瀬舟」を取り上げたものが圧倒的に多かった。主題がつかみやすいからであろう。
 しかし、多くの感想文が「安楽死」にこだわりすぎていると感じられた。「安楽死」については作者自身が「高瀬舟縁起」に書いているのだから、そのまま扱ったのではおもしろくない。何か別の視点が欲しかった。しかも「高瀬舟縁起」を読んでいないか、誤読している。例えば、「この小説が書かれた頃には喜助の様に、死にきれなくなった者を人の情として殺してやるということが少なくなかった。それは医学が今より発達していない分、助かる見込みが小さかったのだろう」と書いている者がいる。しかし、「高瀬舟縁起」で作者は「従来の道徳は苦しませておけと命じている。しかし医学社会には、これを非とする論がある」と述べている。つまり、作者は医学が発達していくと安楽死が普通に行われるようになると予言しているのである。
 コンクールには6編選ばれたが、入選したものはなかった。これは主題のとらえ方がありきたりのものになってしまったからであろう。

 78編も提出された『雪国』であるが、かなり主題がつかみにくい小説である。話そのものが現代風ではないせいもあるだろう。主人公の島村という男性が、子供には分かりにくい人物として描かれているせいもあるだろう。実際に提出された感想文を読んでも、低学年には理解されていない気がした。
 全体を読んでも分かりにくいせいか、最初の一文にこだわりすぎているものが見受けられた。最初のパラグラフしか読んでないのではないか、と思われるものもあった。
 5編選ばれ、2編が入選した。
 1位に入賞した厚東彩乃さんは、島村と駒子の恋愛に違和感を感じながらも、駒子に感情移入し、駒子の視点から小説を読み取っている。その感情移入の仕方と、島村という分かりにくい人物を駒子からとらえるという巧みさが評価された。

 『デミアン』は77編の提出があった。この小説も現代風の話ではないので、理解しがたい部分が多いのではないだろうか。しかし、全体の大部分は分からなくても、作者の主張は伝わるように書いてある。そのため、その部分を深く考え、文章にまとめた感想文には質の高いものがあった。
 ただし、本文を熟読せず、作者の主張だけを解説などを利用してつかみ、意見や感想を述べているとおぼしきものも多数あった。これらには誤読や思いこみの激しいものが見受けられた。やはり、難解であると分かったら、他の課題図書に切り替える方がよいだろう。
 7編選ばれ、4編が入選した。
 3位に入賞した梶川真里さんは、主人公シンクレールよりも題名になっているデミアンという登場人物に焦点を絞り、デミアンの人間性について深く考察している。そのアプローチの仕方と読みの深さが評価された。

 『悪童日記』は59編提出された。本書は「ぼくら」という語り手が物語る形式になっている。「ぼくら」は双子の子供たちなのだが、どちらが語っているのか分からない。それどころか、本当に子供なのかも分からない。このような書き方はマリオ・バルガス・リョサの短編などにあるが、長編でやっているのは滅多にない。〈信頼できない語り手〉に淡々と、しかし衝撃的な物語が語られていく。読書感想文を書くには扱いづらかったかも知れない。
 6編選ばれ、3編が入選した。
 3位に入賞した筒井美妃さんは、戦争という状況の中で生きていく「ぼくら」の持つ、ある種の強さについて考察している。その考察の内容と、「ぼくら」に感情移入しながらも現代においては否定すべきだと主張するところが評価された。

 実在の人物を扱った伝記小説の感想を書くのは案外難しいものである。というのも、小説についての感想よりも、人物についての感想になるからだ。その人物に魅力があるのは、小説家の描き方によるのか、人物自身によるのか、が分かちがたいからでもある。人物が若くして亡くなった場合は、その短い人生において大きく矛盾するようなことがない。読者はストレートにその人物に感情移入できるので、ますます作者のことを忘れてしまうのである。しかし、そういう読み方が悪いというわけではない。
 『聖の青春』も主人公の村山聖に素直に感情移入して読み込めばいいと思う。少々、癖のある人物ではあるが。
 提出された56編からコンクールには6編選ばれ、1編が佳作に入選している。中川晃子さんは、主人公が「名人」という夢に向かって命がけで将棋盤に向かっていくところに心を動かされる。そして自分も夢を見つけ、「翼」を持てるようになりたいと言う。

 『ニホンゴキトク』は51編、『お言葉ですが・・・』は25編提出された。どちらも日本語について書かれたものである。日常的に使っている日本語が題材なので、読みやすく、書きやすかったのではないだろうか。内容的には『お言葉ですが・・・』の方が数段上なのだが、『ニホンゴキトク』は題名が良かった。提出数の差は題名によるものだろう。
 『ニホンゴキトク』は7編選ばれたが、入選はなかった。『お言葉ですが・・・』は1編も選ばれていない。

 創立40周年記念講演の講演者がピーター・フランクルさんだった。このときの講演が印象深かったのだろうが、講演の感想と『世界青春放浪記』を読んだ感想とがごちゃごちゃに混ざっているものが多かった。どこまで講演でどこから本の感想なのか、はっきりしない。本から引用する時には約束事があるので、それを守って書くようにしよう。
 選ばれたのは1編のみ。佳作入選の佐伯美香さんは「差別」という視点から「自由」を主題にうまくまとめている。

 『奇貨居くべし 春風篇』は五巻に渡る長編小説の第一巻である。少年呂不韋が旅をしながら成長していくという物語が読みやすかったのか、提出された19編のうち3編が選ばれ、2編が佳作に入選している。堀池麻衣さんは呂不韋の成長を丹念に捉え、井上弘子さんは「運命」を見つめている。

 『李陵・山月記』の中にある「山月記」は2年の教科書に載っているので、もっと多くの人が選ぶのではないかと思っていたが、漢文くずしの文体に抵抗感があったのか、16編と少なかった。選ばれたのは1編のみである。
 2位に入賞した岡田愛さんは「悟浄出世」を取り上げている。「我とは一体何なのか」という問いの答えを求めて旅をする悟浄を自分自身に重ね合わせて見ている。悟浄は結局、答えが分からなかったのだが、読んでいてそのことに気持ちを軽くしたというのがおもしろい。読み終えた後の自分の変化をじっくり見つめて書いたところが評価された。

 あまりにも有名な足尾銅山鉱毒事件と田中正造代議士であるが、『毒━風聞・田中正造』は随所でナマズやのみ、しらみ、石亀、石の地蔵、などの視点から語られている。事件の重さとそれらの語り口が合っていないのか、提出された感想文には戸惑いが感じられた。主題を読み取るよりも、表現に引きずられてしまったようだ。校内コンクールに1編も選ばれていないのはそのせいでもある。

 『印度放浪』は高額大部の一冊であるせいか、8人しか選んでいない。一種の紀行文であり、ノンフィクションである。感想文の書き方も難しかったようだ。