| ザルツブルグ音楽祭で、ウィーン・フィルの演奏を聴いてきました。 | |
| 2002年の年末、チェンマイとバンコクをちょいと覗いてきました。「バンコクの治安は悪化する一方」との情報にびくびくでしたが、ちょっと騙されたものの被害は全くなく楽しい旅でした。食べ物は美味しいし、またぜひ訪れたい! | |
| 2002年夏。スウェーデンから入り、ハムレットのクロンボー城があるエルシノアへ。"Hamlet Summer" の一環として行われていた、"Gertrude the Cry"を観劇。クリスチャン・アンデルセンの故郷オーデンセを経由して、ファルスレッド・クロで一晩過ごし、コペンハーゲンへ。 | |
2001年夏、ストックホルム。空気が澄んでいて、緑が多くてすがすがしい都会。右が勝手に決めた私の特等席です。さて、どこでしょう?2002年夏にもストックホルムを訪れました。一番の思い出は、日が暮れたガムラ・スタンで出会ったストリート・ミュージシャン。トリオ・ヴォルガというヴァイオリン、チェロ、グラシック・ギターのトリオです。自作のCDを購入。ストックホルム最後の日に、もう一枚とCDを買いに行ったのですが、残念ながらその日彼らは演奏を休んでいました。またいつかめぐり合えますように。 | |
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2001年夏。ちょっとオスロに立ち寄って、北極圏のハーシュタへ飛び、沿岸急行船で南下。ロフォーテン諸島へ。 2002年夏。ベルゲンから "Norway in a Nutshell" でオスロへ。 | |
| 21世紀を香港で!と張り切って出掛けたのですが、なぜか寝込んでしまい… 相性が悪いのかしら。 | |
| クアラルンプルからバスでキャメロン・ハイランドのタナ・ラータへ。それから、マレー鉄道で南下してマラッカへ行きました。どこかで誰かがいつもお掃除しているとても清潔な国でした。 | |
| 以前に作ったページは、こちら。『大草原の小さな家』ゆかりの地を巡る旅は、こちら。 | |
| 母を連れて、博多港からビートルで釜山へ。屋台の食べ歩きが楽しかった。また、伝統茶院でのお茶も美味しかったです。 | |
| 何を食べても美味しい国。特に美味しかったのが、田舎の村で食べた鱈とジャガイモの煮物と、シントラで食べた海の幸。同じイベリア半島なのに、人々がスペイン人よりずっとシャイなのが印象的でした。すごい田舎でバスを乗り過ごし、ヒッチハイクまがいを経験したことも、今となれば良い思い出。以前に作ったページは、こちら。 | |
| イスタンブールとカッパドキア。3月のカッパドキアはとても寒かった。シシカバブは美味しかったけど、味付けが全体的に単調な印象。 | |
| トルコに行くときにKLMオランダ航空だったので、ちょっとだけアムステルダムに寄りました。中心部を一回りして、「アンネの家」などへ。オランダの女の子はみんなお洒落で可愛かったです。 | |
| 正直に言えば、ピラミッドは「あるなあ」と当たり前の感想。こんなことを言うと怒られそうですが、スフィンクスは思ったより小さかった。地下鉄に乗ったり、普通のエジプト人家庭にお邪魔したりが楽しかった。そうそう、地下鉄と言えば、フランス資本で作ったというカイロの地下鉄。パリのメトロにそっくりなのですが、一番前は女性専用車両です。知り合いの日本人男性が知らずにこの車両に乗ったところ、「ここはあなたが乗るところじゃないのよー」とすごい勢いでエジプト人のおばさま方に怒られたとか。 でも、私が旅した中では、ひと根性いる国だなあという印象。真夜中に着いたカイロ空港で、客引きのタクシーの運転手さんたちに周りをぐるりと囲まれたときの恐ろしさ(別に危害は加えられないのだけど)は忘れられません。 | |
| スペインは人も食べ物も風景もみんな好きで、一時期、サラマンカ大学に留学したいと本気で考えたほどでした。楽しかったのは、ドン・キホーテの故郷のラ・マンチャ地方。以前に作ったページは、こちら。 | |
| イギリスで知り合った友人(ギリシャ人)宅にしばらく居候していました。焼き鳥みたいな「スブラキ」と果物が美味しかった。ストライキの時期だったのと、強風の季節だったのとで、サントリーニ島へ行けなかったのが残念。アテネの下町はヨーロッパというよりも、アラブの国に迷い込んだような感じでした。 | |
| 1度目は、パリの南のはずれにある「イタリー門」にあるスチューデント・ホステル(朝食付きで一泊1500円くらい)にしばらく滞在して、その後、南仏へ行きました。なお、「イタリー門」は中国系の人たちが普通に地味に生活しているところ。パリ在住の日本人が食材を買いに出かけたりするところでもあるそうです。 2度目は、ポルトガルに行くときに5日間だけパリに寄り、四区、五区、六区を中心に、玉村豊男さんの本を片手に歩き回りました。以前に作ったページは、こちら。 | |
| バチカンのシスティーナ礼拝堂の修復が行われている頃のこと。ローマの高校の英語の先生(イタリア人)に、ローマの城壁の外のレストランへ連れて行ってもらいましたが、そこで食べたスパゲティ・ボンゴレが本当に美味しかった。以前に作ったページは、こちら。 | |
| イタリアを一緒に旅することになっていた友達と、待ち合わせをするために、チューリッヒへ。ローマでも良かったのですが、一人でローマ入りするのは怖かったのです。『アルプスの少女ハイジ』のマイエンフェルトにも行きましたが、誰でも見つけられるという話の「ハイジの泉」へ、どうして私は辿りつけなかったのだろう… でも、ヤギではなく牛だった以外は、まさにイメージそのものでした。 | |
| 当時の西ドイツ。フランクフルトに当時住んでいた知り合いを訪ねました。それから、ベルリンへ行くか、ロマンチック街道を周るか、迷いに迷って、ロマンチック街道へ。その後間もなく「ベルリンの壁」は壊されてしまい、私は以来ずっと、壁が存在していた頃のベルリンへ行かなかったのを後悔しています。 | |
| 初めて出掛けた外国がイギリスでした。長期滞在していたのは、昭和から平成にかけての頃… ずいぶん昔の話になってしまいました。以前に作ったページは、こちら。 |