独立行政法人国立高等専門学校機構 宇部工業高等専門学校

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目的別

校歌の誕生

College Song Episode

昭和41年度に制定された宇部高専の校歌誕生にまつわるエピソード

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校歌作詞者 上田 敏雄氏(撮影当時29歳)

昭和41年度は5年生まで全学年がそろういわゆる完成年度で、やがて高専第1回の卒業生が生まれるという記念すべき年であった。この年、本校校歌は全学の期待を受けて目出たく誕生したのである。しかし、その誕生は必ずしも安産とは言えなかった。

昭和41年度になると5年生の就職試験が始まり、卒業式が年間計画の日程にのぼってきた。まさに校歌制定がせき立てられるような雰囲気であったといえよう。この年の教務主事は電気科主任の大石豊二郎先生で、2人で校長に校歌のことを話すと校長も事情を理解し、事務部長・庶務課長も呼び、まず他高専の様子を調べてみることにした。その結果、国立高専43校のうち19校が既に校歌をもっていることが分かった。なかでも特に目を引いたのは作詞者、作曲者に一流専門家の顔が見えたこと、校長自らが作詞しているのは高専が5校を数えたことだった。しかし本校での考え方を踏襲して校歌は学内で作ろうということでスタートすることになった。

7月5日学生会執行委員長を校長室に呼び、学生の応募状況を聞いてみると、わずか3編だけしか寄せられていないとのことだった。そこでいろいろ善後処理を協議した結果、締切日を7月30日まで延期し多数の応募を促すことになった。これよりさき、校歌の募集が始まると校長はひそかに且つ精力的にめぼしい教官に作詞を懇請して歩いたらしい。その結果、上田敏雄先生から漸く応諾を得ることに成功したとのことであった。

かくして非常な期待と不安の交錯した校歌募集運動は7月30日をもって締め切られた。募集期間を1ヶ月延長したものの、結局集まったのは上田・上坂先生の2編と学生からの3編計5編に過ぎなかった。この5編を子細に点検した校長は上田先生の作詞を最も格調高くすぐれたものと評価し、それが校歌としてスムーズに選定されることを強く待望していた。

夏休みも終わって9月13日、選考会議の日がやってきた。会議では作者名は秘してABC・・・の記号で5編が配布され、それぞれの委員から率直な意見が述べられた。「高専の理想像とか校訓などが示されていない」「高専としての教育や青年の理想像が含まれていない」「学校の特徴や個性的なものを入れるべきである」「作曲しにくく、覚えにくいものはいけない」など思い思いの意見が出て、まさに群盲象を撫でる観だった。結局この日の委員会では1編にしぼって校歌として選定することができず今後の善後策として再募集すること、応募作品のうち3編は原作者に委員会の意見を添えて返却し、再検討をお願いすることなどをきめて会議は終わってしまった。

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作詞途中の直筆原稿

第2回の選考委員会が開かれたのは11月も末の29日だった。第1回の選考で残った3編と新たに追加された3編について選考が行われ、上田先生の作品が最もすぐれているという意見が多数を占めたものの、こんども全会一致で校歌として決定するには至らず更に多数学生の意見も聞いてみることになり決定はまたも後に延ばされた。上田先生の作品は、第1回の委員会の意見を十分に汲みとって大幅に手を加え装を新たにしたものになっていた。それはいわば原作を母体として教職員学生の英知を結集して練り上げられたものになっていたといえよう。学生からの応募作品のなかにはフレッシュな感じのするすぐれたものもあったが、応援歌あるいは寮歌としての域を出ていないとの評だった。

上田先生の歌詞は校歌候補という形で公表され、広く多数学生の意見を求めることになった。これに対して学生からの反対意見はなく、かえって「非常に立派である」「校歌ができてうれしい」など多数の賛成意見が寄せられた。そこで12月20日の主任会議で上田先生の作詞を校歌の歌詞として最終的に決定し、翌21日の教官会議でもそれは承認された。

作曲は上田先生の友人の山口大学文理学部教授の紹介で同大学教育学部助教授岡田昌大氏に依頼することになった。

開けて42年1月17日、待望の曲ができて、そのテープが学校に届けられた。私は校長室でこれを試聴し、明るく軽快な感じに打たれたのを覚えている。学生には昼食時間学生食堂でテープを流して初めて紹介された。そして学生を通じて合唱部や一般学生の意見をまとめてもらった。その結果一般的共通的意見は、明るくモダンな感じの曲であるが反面迫力や力強さが足りないということであった。この意見は原作者に伝えられたが改めて変更するほどのことはないとのことで結局原作どおり決定することとなり、2月2日このことが全教職員、学生に通知された。まことに思いがけず長い道程の末の校歌誕生であった。

2月4日、体育館で第1回の卒業生送別会が開催され、全学生に校歌が紹介されることになった。作詞者上田先生からは歌詞の説明があり、つづいて合唱部による校歌の斉唱があって熱烈な拍手をもってその誕生が祝福されたのである。

宇部高専十年誌「校歌の誕生」 より一部抜粋
有園 道義(元宇部高専一般科教授)

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